気がつけば、39歳になっていた。

白髪が増えたし、目尻のしわも深くなった。

仕事も生活も年相応に見通しなど立たず、どちらかと言えば、煮詰まってしまってる。


仕事場で、周囲に自分より一回りも若い新人さんが増えた。

自分より若い先輩に苦言をはけば、敬語を使われ、扱いづらいと思われてしまう。


何日もほとんど徹夜して働き、命を削って没頭した仕事なのに、

給与の支払いが、もう2週間以上も遅れている。


一ヶ月近く帰れなかった我が家に、久しぶりでやっと戻っても、

すぐには家族との暮らしのリズムになじめずに、

その些細な言葉にいらだってしまう。


こんな時はつい、捨て鉢に思ってしまう。

自分は誰からも必要とされずに、

場違いな場所で、無駄な空回りをしているだけじゃないだろうか?・・・と。

自分は今のままで本当に良いのか?・・・と。




でもそんな時、

ちょっと離れた場所から、「風」を送ってくれる人達がいる。

自分よりかなり上の人もいれば、ずっと若い人もいる。


普段はお互いに離れていて、それぞれの道を進んでるが、

ふとしたタイミングで、相手の存在を感じて元気がわいたり、

「これではいかん」と背筋が伸びたりする。



今日も、そんな大事な友人が放った何気ない一言で、

開けようとしたことのない未知の窓を開けるような、新鮮な切っ掛けをもらった。



私でいいのかなぁ、本当に・・・とも思うけど、

人生もう折り返し地点、

この偶然は、積極的に面白がった方がいいですよね、きっと。
































窪美澄さんと言う作家から、目が離せない。


□デビュー作「ふがいない僕は空を見た」で、山本周五郎賞を受賞

 ■生きていることに意味がある

 満票での受賞にも、浮わついた様子はない。「大作家の名を冠した賞をいただく責任を感じる。もろ手を挙げてバンザイというわけには…」。デビュー作『ふがいない僕は空を見た』(新潮社・1470円)で、第24回山本周五郎賞に決まった窪美澄(くぼ・みすみ)さん(45)は、東京都内で行われた会見で、慎重に言葉を選びながら喜びをかみ締めた。

 不妊治療中のコスプレ好きな主婦、貧困から抜け出そうともがく高校生…。受賞作はさまざま困難を抱えた登場人物たちが前向きに生きる姿を描く連作短編集。ユニークな題名は「目の前の状況にふがいなさを感じない大人はいない、という私の実感」から付けた。

 冒頭の短編「ミクマリ」で「女による女のためのR-18文学賞」の大賞を受賞。その周辺を書き継いだ本作は今年4月、本屋大賞の2位に選ばれた。山本賞選考委員の作家、重松清さん(48)も「エグイ世界を描いているが、作者が冷静な距離を保って浸りきっていない。章が進むごとに深さが増す」と賛辞を惜しまない。

 東京都生まれ。短大中退後、広告制作会社勤務を経て、妊娠や出産などを主なテーマに、フリーの編集ライターとして活躍してきた。生まれて間もない第1子を亡くした経験が、小説世界にも投影されている。

 「危機的な状況であればあるほど、どう生きるかは二の次で、生きていることに意味がある。2冊目もテーマは同じ。『あなたがそこにいるだけでいい』ということをしつこく、しつこく書きたい」


素晴らしいじゃないですか!!!



コスプレ主婦の倒錯した性描写を延々描いているのに、
文章全体に漂う不思議な清潔感。
何故だろう?

読後に残るのは、生の哀しさと、愚かさ。
そしてそれらを全身全霊で受けとめ、
肯定しようとする透明な意志。

2011年の本屋大賞第二位、本の雑誌が選ぶ2010年度第一位。
と言う本屋のPOPなど、滅多に信用する事はないのだけど、
なぜか、妙に気になって、まったく内容を確認もしないで衝動買いした。

ここのところの熱帯夜、
寝苦しい深夜の暇つぶしにと手に取ったら、
ぐいぐいぐいと引き込まれて、読みふけってしまった。

5つの短篇ごとに独立した物語としても読めるし、
もちろん、ひとつの長編としても緻密に構成されている。
5人の登場人物、それぞれに文体から変えてしまう、その描き分けが見事だ。

妊娠、出産、不妊・・・女の視点からとらえたセックス。
セイタカアワダチソウと言う雑草をタイトルに持ってくる点も、
この作者は、きっと伊藤比呂美さんの読者だなと、
確信してにやりとしました。


本当に久しぶりの更新です。

毎日、茹だるような暑さですが、みなさま溶けていませんか?


今年初めに誓ったディレクター修行の一年もすでに半年が経ちました。

でも、予定の半分過ぎたところで、勤めていた番組が終了。

修行半ばで放り出された私です。


まだまだ未熟で、学びたいこと、訓練したいことが沢山あった番組でしたが、

終了が決まっちゃったのだから仕方ありません。

終了したことで、しなくて済んだ苦労も少しはあったりしますし。


でも、ここからが本当の正念場です。

自分ひとりで自分のこれからを切り開いていかなくちゃならないから。

今まではレギュラー番組に守られていたわけですからね。


誰を信用し、誰を味方と考えたらよいか、神経を研ぎ澄まさなくてはいけません。

また会社の中だけの人間関係にこだわらず、

もっと広い視野で、自分のやりたいこと、資質とこれからを考えていかなくてはなりません。

本当にテレビでいいのか、他に自分に合った映像制作の現場はないのか?


ドラマもやりたいならば、脚本や演出などもっと勉強しなくてはいけない。

やることはいっぱいあります。

考えすぎて立ち止まっている時間は、あまりありません。


そのために、家族との時間を犠牲にしています。

子供を作ることも先送りにしていますし。

ペットたちにも可愛そうなことをしています。


だからこそ、生半可なことではダメなんです。







金沢八景の石内さんのアトリエにお邪魔させてもらった時に、

石内さんが年明けにまた広島に被爆資料を撮影しに行く、という話を聞いた。

仕事でどたばたの真っ只中だったが、無理を通して、

石内さんの広島での被爆資料の追加撮影に、同行させてもらった。



石内さんの事を知るごとに、彼女の人間としての強さ、自由闊達さを、

彼女が幼いころ横須賀でしてきた経験の重さを、

そしてこの女性がたどってきた人生の余りの見事さを、思わずにはいられない。



そして、30年前から今までずっと、カメラもオートフォーカスで、

照明は自然光のみ、三脚も使わない、手ブレも気にしない。

撮影は、自分が撮りたいもの、自分に関係のある物しか撮らない徹底振り。

被写体と向かい合う際に、頼りになるのは自分の感受性と人間性のみという、

芸術家的な姿勢を貫き通して勝負してきた、今では本当に稀有な写真家だと思う。



その彼女が、全くの個人として、広島の原爆の被爆資料を、

平和記念資料館の、3階の廊下の片隅で、太陽とにらめっこをしながら、

淡々と撮り進めていく様を、後ろから見守っているうちに、

彼女は本当に身一つで、「ひろしま」と向かい合っているんだなぁ、と感動してしまった。


この、ほんとに、地味で、小規模で、個人的な行為を通して、

30年以上もずっと、彼女は「世界」と向かい合ってきたのだ。


彼女は何のごまかしもない、一人間として、被写体と向かい合い、会話しながら、

シャッターを静かに切っていく。


そうして彼女の手で写真となった被爆資料たちは、

写真集や展覧会のなかで、多くの人の目に触れ、世界のあちこちの空気を吸い、

写真として、世の中に羽ばたいていく。


本当に大切で、尊い行為は、いつもたいていは、

このように、淡々と、ひどく飾り気なく進められているのではないだろうか。

そのような行為のほうが、いかにもな仰々しい行為よりも、

ずっと信頼できる気がする。





写真に映っている、石内さんの助手を務めているのは、

平和記念資料館のS村さんという若い女性スタッフ。

こんなに若い女性が、2万件近い被爆資料を全て管理しているのにも驚かされた。

彼女の元には、今も新しく持ち主の手を離れた「遺品」たちが、届けられ続けている。

石内さんは彼女の事を「墓守」だと言う。 

だから、彼女を信頼できると。

彼女がここに居る間は、自分は「ひろしま」の写真を撮り続けるつもりだ、とも。




そういえば、石内さんと宮島を訪れる際にボートから見れた、原爆ドーム。

思った以上に小さくて、とても健気な感じがした。


I fly all alone over the sky at night.-ishiuchi1


I fly all alone over the sky at night.-ishiuchi2



I fly all alone over the sky at night.-dome


I fly all alone over the sky at night.-itsukushima-jinjya


I fly all alone over the sky at night.-ishiuchi3

年末年始、編集地獄で赤坂のスタジオに篭っておりました。

お陰で、いただいた年賀状にもまだ一枚も返事が出来ていません・・・。


その2週間弱の間に、厳しい先輩に徹底的にしごかれて、心も肉体も追い詰められて、

体重も激減。20代から30代の人生で最も軽くなっておりました。


しかし、先週頭に無事納品。

そのMAの終わった後、その厳しい先輩から労いの言葉と、

誰かが伝えてくれたのでしょう、誕生日のお祝いも兼ねて、ご飯をご馳走になりました。


自分の余りの出来なさと、先輩の余りの寛大さに、涙が流れそうでした。


三梨もとうとう38歳、人生も後半戦に突入です。



精神的にもやっと落ち着いてまいりました。

こうしてグログを書けるようになったのですから。


2007年に、偶然に始まった、私のテレビディレクター業。

いきなりディレクターとして起用してもらったは良い物の、

やはり基本的なテレビ番組の知識や技術的な基礎体力が圧倒的に不足していて、

それは自分でも自覚していたのですが、今回、新しい番組を担当させてもらったことで、

自分の駄目さ加減が全て表に表れました。


やることなすこと、ワンカットごとに、全て駄目だしをくらい、

丸裸にされて、この10日間、鞭で打たれ続けた感じです。

せっかく私にチャンスをくれた先輩も、このままでは私が使い物にならないと判断。


「三梨は、圧倒的に素振りが足りてない感じ。

僕が今、口を酸っぱくして言っている事は、テレビでも、映画でも、

自主映画やるにしても変わらない、映像をやる上で基礎的な部分だからね。」



もちろん自分でも、今回の件で腹が据わりました。



38歳という年齢ではありますが、

若いディレクターの方々には使いずらいADと思われるかもしれませんが、

それでも「今年1年は、ADをやってみたら」という、その先輩の言葉を受け止めて、

今年は一年間、みっちりとADをやる決心をいたしました。


そして色々なディレクターの仕事を見ながら、修行をしようと思います。



来年以降の、自分のために。

何時か実現させたいプロジェクトのために。

何時か一緒に仕事をしたい人達と、台頭に向かい合えるようになるために。






最近、音楽、特にクラシックに触れる機会が増えた。

以前から、視覚と聴覚の関係や、視覚や聴覚に欠損のある人たちの感覚に興味を覚えていた私。
誘われて、クラシック音楽をテーマにした長期取材のドキュメンタリーに参加している。

自分の興味とどこか接点のありそうなテーマの番組。
制作費が削られる一方で、長期取材の出来る本格的なドキュメンタリーが少なくなっている近頃。
すぐ仕事になるかどうか分からなかったけれど、喜んで参加した。


ダイアローグ・イン・ザ・ダーク

見えないから聞こえること、聞こえないから見えること

視覚に邪魔されない、音だけの世界

盲目のピアニスト 

カルテットという音楽

グレン・グールドの孤独

音に包まれることで、解放される神経

クラシック音楽に造詣の深い大プロデューサーOさんが、
クラシック音楽を余り知らない、その事を気にしながら仕事をしている私達に、

「クラシック音楽に余り詳しくないから、あなたを選んだのよ」と言った。
「知らないからこそ、クラシック音楽の番組を作るっていうことで、いいんだと思うの。」とも言った。
「取材しながら、わからない事は何でも彼らに聞いていけばいいと思うの」と。
「そうすることで、クラシック音楽が一部のファンだけのものではなく、
 より多くの人に開かれたものになると思うから」と。

「番組作りは、カルテットの音楽を完成させていく作業にも似ていますね」と演奏者は言った。

取材される音楽家達の音楽的、人間的な成長と、
取材者である私たち番組制作者のクラシック音楽への意識の持ち方の変化そのものが、
このドキュメンタリーの物語として織り上げられていくのだろうか・・・。

















昨年、真冬の群馬県中之条町にて
「UFO食堂」と言う35ミリ短編の撮影を手伝わせてもらった山口智監督。
彼はわたしが以前通っていた映画学校の少し後輩に当たるのだが、
こつこつと自主制作で映画を撮り続け、とうとう待望の商業映画デビュー。
見事、この10月24日にユーロスペースにて公開を果たした。

映画のタイトルは「代行のススメ」。

主人公は、産休に入る先生の代わりを勤める小学校の代用教員、カヨ。
仲良くなれたと思った生徒達との関係も、出産明けに元の先生がもどれば、
一瞬で吹き飛んでしまう虚しさ。

プライベートでも、夫とは離婚届けを交し合う状態。
「この人は、私の代わりだっていってたよね。」と
面と向かって夫の元彼女(現恋人)に言われる始末。

そんなカヨが実家に帰れば、両親の家業は「代行」業。
酔っ払った人の代わりに車を運転して帰宅する仕事だ。

いい加減、「誰かの代わり」がいやになったカヨだが、
不器用で無口な父を支えていた働き者の母が、病気で倒れ、
母の代わりに父の仕事を手伝う羽目になる。

そんなカヨは、果たして誰の代わりでもない、
自分の新しい生きかたを見つけられるのか・・・?


全編に渡って、監督の山口君の人に暖かい眼差しが行き渡り、
役者さんの演技の捉え方やカメラワークも、前と比べずっとのびのびと、
そしてどっしりとして来た気がする。
前作「ufo食堂」に比べてあらゆる面で、彼の進化に「おっ」と思わされた。


そして多分、出演者が山口君を信頼し、安心して演じることが出来たからだろう。

主人公、カヨを演じる藤真美穂が、とてもいい。
抑制された表情の中に、微妙なニュアンスを感じさせて、複雑なカヨの心情を見事に表していた。

また、この作品を最後になくなった父親役の山田辰夫と母役の円城寺あやの渋い演技、
離婚して娘と別々に暮らす若い父親を演じる矢柴俊博や、夫役の山中崇、
自由奔放なカヨの女友達など脇を固める役者達がとてもいい。

途中、かよと家族、かよと恋人、父と母、従業員の父とその娘とかよ、
など複数の伏線的なエピソードが平行に進行するのだが、
それぞれの伏線の絡まり方がゆる過ぎると感じる部分もあり、
ストーリーの焦点がややぼやけたように感じた時もあったが、
全体を通して、見終わった後のすがすがしさに気持ちの良い後味を持って帰らせてもらった。

おススメします!


「代行のススメ」hp
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